僕が旅に出る理由。
今回の記事僕の過去の話になりますね!
色んな事をこの大学入ってから3年間で経験させて貰い、本当に充実しています、もちろん今も。
僕がなんで旅に出るようになったのか。その理由って自分でもあまり掘り下げた事が無かったんですよ。
表面的なものはありましたけど本当に深く深く掘り下げていなかったなーって。
今回はその部分に自分で触れてみたいと思います。今、旅に出ようか迷っている人がいたらその人に当てたものですね^^
・きっかけは突然に・・
高校3年生の卒業式を終えて、実家の兵庫から京都に引っ越して行く事になった僕。
初めての一人暮らし、初めての土地。
とっても楽しみだったけど、とっても不安だった。
京都に引っ越す日にはその当時の彼女と高校時代仲の良かったツレ3人。
「行ってくるわ!」と笑顔で彼女に言ったけど、あの時は辛かったな〜笑
初めての一人暮らしは刺激的で、暇。ご飯、洗濯、洗い物を全部1人で。母親の有り難さを感じる。
僕はある部活に入っていた、というのも大学に入学出来たのはそのスポーツのおかげで。
けど、、何かあわなかった。
新人部員歓迎会の時、ご飯が出てきた。それを食べようとしたら先輩の飯が来るまで待っとけって。
多分他の人から見たら当たり前の事だろうし、しょーもない事やろうけどそれが僕は信じられなかった。笑
「なんでやねん!料理はアツアツの方が上手いやんけ!」って心の中で思ってたよな。
けど部活自体は楽しかった、いい環境、先輩、コーチ。全て僕を成長させるものだとわかってた、わかってたんやけど、、どんどん僕の心は「退部」という方向に向かっていった。
その理由は沢山あるけど、海外ってものに憧れを抱き始めた時だった。それはその部活にある先輩がいて、ハワイ人の。
日本で育ったから日本語も話せるしもちろん英語だって。
単純に、かっこ良かったんよな〜!話す単語単語が今まで学校で習ってきた英語の先生とは違うし、何より会話がこんなにスラスラ出てくるんや!年も近いのに!って感じ。
そこから自分の視野ってもんが広がっていった気がする。
その年の5月の後半、僕は退部した。しかも中途半端で恩を仇で返すような方法で。逃げた。
けど、後悔はしてなかった。学校で部活の同期や先輩と会う時に気まずかったけど、それでも自分で決めた道を頑張ろうって思ってたから、留学って道を。
・挫折
勉強をその時は続けていた、TOEICやTOEFLの問題と日々格闘しながら、「あーでもない、こーでもない」と家でやってたけど、先が見えない。
試しに受けてみたTOEFLを。このスコアが上がっていけば交換留学って留学で外国の大学に留学出来る権利をゲット出来る。
結果は惨敗。絶対に無理なスコア。
今思うと、「それ続けてたらもしかしたらいけたんちゃうの?!」とかって思うけど当時の僕は、「もー無理。俺には出来へんわ。」って簡単に諦めてしまっていた。
これは挫折じゃなくて、怠け。
そこから僕は方向性を変えた、お金で行けるんやったらそれで英語を学ぼうと私費留学の方向に進んでいった。
学校はアメリカのロサンゼルスにある学校で、手続きも簡単に出来たからとうとう大学2回生から行けそうな所まで来た。
けど、、、お金が用意出来なかった。仕方がない事だけど「俺はこれで海外には行けへんのかー、やっぱり俺じゃ無理やったんやな。」っね相当凹んだ。何もする気が起きなかったからみんなとアホみたいな事して紛らわしてた。
本当に悔しかったのに。
・バックパッカーってなんやそれ?
挫折?から少し経って、バックパッカーって言葉を知った。どうやって知ったかはもう覚えてないけど本だった気がする。
そこには、バイトしてお金を貯めて貯めて世界一周している人とか、短期間でも何ヶ国も回っている人の日記、思った事感じた事が書いてあった。
正直、その時は「これが俺のやりたかったことや!」なんて思わなかった。
「ふーん、バックパッカーねー。英語話されへんし俺には無理!」って思ってた。
それから少しして、何故かバックパッカーしようと思った。理由は「俺だって海外に行きたい。」単純に憧れだけでチケットを取った。初めての海外、パスポートも出発1週間前に手に入れた。
・初めての海外!心はズタボロ・・・
出発当日、散々おばあちゃんから「心配やね〜ほんまに生きて帰ってきて!」と何回も言われて実家を出た。毎回海外に行く時におばあちゃんは同じ事を言う。
「俺の身を思って行ってくれてるんやろなぁ」と感謝でしかない。
1人で関空まで行って、搭乗口でチケット見せて「こちらですよ〜」って係員に誘導されて。
飛行機なんて高校生の時北海道に修学旅行行った時くらいでその時は集団やったから安心感があったけど、今回は1人。
何も悪い事してないのに、「俺、絶対捕まる。」って思いながら飛行機に乗る。
着いたその先は、台湾。
ベトナムへ行く途中の乗り換えて確か12時間くらいあったから1回降りて観光でもしようかなーって軽い考えで台湾の空港を出た。
市街地まで調べてた通りバスのチケットを取りに行って「バストチケット下さい。」って日本語で頼んでた。笑
当然通じるわけもなく「May I help you?」って英語で返されて。
自分では英語力に自信があったけど、「今この人なんて言った?いや、もう一度言ってくださいって英語でなんていうんやったっけ?」
パニック状態。
「バス!シティー!」を連呼して何とかチケットを購入して市街地へ。
日本のバスを想像してたから、いつも通り乗ってみると異臭。「うわ、なんやこれ・・・全然ちゃうやんけ。。笑」と思いながらもバスは出発、異臭を防ぐためにマスクして乗ってたなー今思うと何とでもない事やのに。
市街地について、ふらーっと街を探索。
日本とはまるで違う景色にワクワクと、「俺一生ひとりぼっちやん。」の不安でいっぱい。
とりあえず、腹が減ったので何かを食べようと今でも覚えている台湾の名物、胡椒餅を食べた。めちゃめちゃうまい、こんなうまいもんこの世にあってええんかなって思うくらい。笑
そこから、台湾を観光しながら出発の時間が近づいてきたので空港へ。
その空港行きのバスチケットを買う時に店員さんの対応が雑で雑で。
「こっちは客やぞコラ!」みたいな勇気もなく「へへ、センキュー。笑」と意味不明な苦笑いでバス停へ。この時心のHP75くらい。
空港へ着くと、何故か飛行機が出ない。
スタッフに拙い英語で聞くと、「台風なので飛行機は欠航です。」との事。
「え?このまま日本帰国?笑」なんて知識もない僕は終わった。。と1人で意気消沈。
ただ、もっと聞いてみると明日の夜には行けるそう。24時間後。
「どうせえっつうねん。笑」と思いながらも空港のご飯、ラーメン的なもの。
これ、ほんまに口に合わなかった。少ししか食べれず、お金も節約しないといけないので空港で寝る事に。
。。。寒い。
東南アジアに行く予定だった僕はあまり長袖を持ってこなかった、これがまずかった。
空港内、めちゃ寒い。凍える。
持ってきた服を重ね着して、そこからポーカーを羽織る形で就寝、もちろんペットなんてないからベンチで。
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今回はここまでにしよう!あんまり長くなるのも読むの疲れてくると思うので。笑
Wataruでした(o^^o)