旅をしていて、「路上生活者」について感じた事。 part2
どもー!Wataruです!
前回の記事は、路上生活者に対してお金をあげる際に自分の心境の変化についてでした。
今回もその続きなんですが、出来れば今回で最後までいけたら良いな~と思っています!
それでは続きいきましょう!
日本に帰ってきて。
その旅から帰ってきた時、日本はもう春。桜が咲いていた時の事。僕の住んでいる京都の飲屋街がある通りでの出来事。
友達と飲みに行く約束があって、そこに向かっている途中に路上生活者の方がいても自分が無視している事に気がつきます。
「海外でお金を渡したのに、日本では当たり前のように彼らを無視している。これっておかしくないか?」と。
海外では、誰も見ていないし出来る。日本では出来ない自分。
このギャップを自分が持っている事に、かなりのショックを受けました。
それを考えていると僕が何を気にしていたのかが、わかりました。
周りからの目です。
「心の中はモヤモヤしているけど、したらしたで見られて恥ずかしい。」って気持ち。
僕と同じような気持ちを感じている方って、多いのではないでしょうか。
心の中で、またこの「これで良いんだろうか?」って疑問がぐるぐる回る事がありました。
でも。今回の旅でこの答えが出たんです。
今回の旅中に。
そして今回の旅、デンマーク・フランス・スペインと回ってきて。どこの国にも路上生活者の人達がいて。
フランスは特に多く、1日に最低でも5組の路上生活者を見る機会があったり。
この時、僕はこのモヤモヤをどうしても解決したかったので自分の中でルールを決めていました。「自分がモヤモヤした気持ちを感じたら、お金であれ食べ物であれ渡そう。」
こう思って、旅をしていました。そうすると、前よりもこのモヤモヤを感じることは少なくなって。よかった、これであの変な感じともおさらばだ。って思って。
けど、いつもいつも渡せる金銭的余裕はありません。
「ここで渡したいけど、これからのことも考えると。。ごめんね。」って無視してしまう事が何度も。
その度に、貧困って解決できない問題なんじゃないだろうか。って思ったり。一つ解決したら、また一つ自分の中で葛藤が生まれたり。
ただ、僕自身「これで良いんだ。だって、僕の入れたお金で少しでも助けになれば、これはこれでい良いんじゃないだろうか。この葛藤を持ちながら、自分が出来る事をやれば良いんだ。」と思うようになりました。
旅は色々な事を教えてくれる、でも・・
僕が伝えたかったのは、僕がただ単にお金を恵んでいる良い人なんだとかそういった事ではなくて。
旅は色々な事を教えてくれる。でも、観光やその地の食べ物を堪能したり。旅の醍醐味を感じるのはもちろんの事。
でも今回僕がシェアした「貧困について」だったり路上生活者に対してどう考えているか。っていう「人間的に考えなければならない事」を旅をする/している最中にそういった現場を見たなら、感じて欲しいんです。
せっかく日本から出てきて、色々なものを見れる中で路上生活者の人達に対してマイナスな考えを持っている旅人を何人も見てきました。
僕は、「その立場になってないからでしょ?自分はたまたま日本で生まれて、ここに来れているんだよ?」ってその人達には思います。
旅をするのなら、こういった事を考えるのは人間として、とても有意義な事だと思いますし皆さんも一度考えてみてはいかがでしょうか?
以上、今回僕が伝えたい事でした。
では!